ついに、母に打ち明けた。

ついに、双極性障害を母に打ち明けた。 人間関係

 

ずっと、言えなかった言葉。

 

「お母さん、私は、双極性障害なんだ」

 

 

 

 

 

 

ついに、双極性障害を母に打ち明けた。

画像引用:ケロさん/写真AC

 

伝えるか伝えないか迷っていた日々

 

双極性障害と診断されたのは、実家から離れて北海道で一人暮らしをしていた頃でした。

 

病院に行ったことも、薬を服用していることも、親には話しませんでした。

 

ラミクタールの服用を始めたばかりのころ、双極性障害だと知られたら、北海道から引き戻されてしまうかもしれないと不安でした。

―副作用が出て救急車で運ばれたりしたら、きっと親にも連絡がいって、双極性障害だと知られてしまう。それなら、伝えておいたほうがいいんじゃないか…。

 

でも、伝えませんでした。

 

過去にうつで休職中に、「抗うつ薬なんか飲まなくていい」と、言われたのを思い出していました。

―ラミクタールを飲まなかったら、しんどすぎる。薬を飲んでいたい。

 

 

そのうちに、わざわざ言わなくてもいいかな、と思うようになっていました。

母はよく、野菜や食べ物を詰めた荷物を送ってくれたり、電話をくれたりしていました。

「元気にしてる?」「体調はどう?」「最近は病院通ったりしているの?」

 

私はそう訊かれる度に、迷う自分を感じました。

 

 

「元気だよ。」

―もし、「双極性障害なの?」と訊かれることがあったら、うん、と答えよう。

 

 

どうして、私は母に伝えられないのか、分からないでいました。

 

そんな日々を過ごすうちに、双極性障害だと伝える事自体には迷いは少なくなりました。

―伝えたくなったときが来たら、伝えよう。

 

 

なぜ自分から伝えようとしないのかは、相変わらず分からないままでした。

 

 

 

 

 

 

今日は、言えそう

ついに、双極性障害を母に打ち明けた。

 

どんよりした天気が何日も続いたあとの、雨上がりの気持ちのいい朝。

早起きして犬の散歩にでかけるような朝でした。

 

ー今日は気温が上がって、蒸し暑くなりそうだ。

 

 

 

タイミングを待っていました。

待っていたと言っていいのかわからないけれど、ずっと、「母に打ち明けるかどうか」が頭に浮かんでは、どうしたらいいかわからないまま、消えてゆきました。

 

双極性障害の診断を受けてから、1年と2ヶ月。

 

 

家族は、私が双極性障害だということを知りません。

3年前に、うつで休職したのは皆知っています。

 

 

最近は、夫との生活に移るまで、実家で同居していたのですが、うつの波が来てしまったときもありました。

部屋に引きこもったり、食事を別にしたり、目を腫らしていることもありました。

そんな私を見た母は、うつの症状があることを察していたようです。

 

母自身、うつや気分の波に翻弄された経験がある人なので、あれこれ声をかけてくれました。

「こういうときは過ぎるのを待つのみ」「ホルモンの関係で若いうちは仕方ないんだわ」「産婦人科に行くと漢方薬もらえるよ」

 

ーバレてる…。

調子が悪いのを必死で隠そうとしていたのが恥ずかしく思えたりもしましたが、うつなのは事実だから仕方ないな、と思いました。

同時に、私のことを考えてくれているんだなと感じられました。

 

 

ー母に障害のこと伝えた方がいいかな。

夫に相談してみたとき、夫はこう言いました。

 

「心配してくれているみたいだから、伝えたほうがいいと思う。」

「お母さんも、何がわからないか、わからない状態じゃなくなると思うよ。」

 

 

―そうか。

ーお母さんは私のこと、心配してくれているんだ。

ーどうしていいか分からないままだと、お母さんも、困っちゃうよね。心配するのって疲れるよ。

 

食事作りの分担が曖昧な時期に、母を泣かせてしまったことがありました。母が涙を浮かべる顔を思い出しながら考えていました。

 

 

双極性障害だと知っていれば、母が消耗することもなくなる。

 

 

犬の散歩から帰ると、母が、家の片付けの合間に、清々しい笑顔を向けてきました。

 

今だ、と思いました。

 

ーなるべく、軽い感じで。

ーなるべく、笑顔で、話そう。

 

 

 

 

 

ぎこちないけれど、伝えてみた

 

―お母さんあのね、こないだ産婦人科とか薬とかいろいろ言ってくれたけど、心配ありがとね。

―今、薬飲んでるんだ。

―双極性障害っていう病気の。

 

「そうなんだ…?」

 

―人と話せなくなっちゃったりするときがあるんだ。

―薬を飲まないと熱があるみたいにだるくて、何もできなくなっちゃう。

 

 

「きっと良くなってゆくよ」

―ううん、薬は一生飲まなきゃならないんだ。うつと似てるけど、別物なんだ。

―脳の細胞が、減ったり死んだりしてるらしい。

 

 

「妊娠とかは大丈夫なの?」

―うん。産婦人科の先生も、(ラミクタール)飲みながら妊娠している人もいるって言ってた。奇形のリスクはゼロじゃないけど、薬飲まないとしんどいでしょうから、って。

 

不妊外来へ通っていることを母は知っています。奇形がでる可能性が増すことに反応して、そんな薬やめなさいと言われるかと思ったけれど、言われませんでした。

 

 

 

「名前なんだっけ、きょく…障害…??」

「もう名前は忘れた」

母は、双極性障害という名前も聞いたことが無さそうでした。躁うつ病、と伝えてもいまいちピンと来ていないようでした。

―診断が難しい障害なんだよ。まだ、あんまり知られて無くて、診断が付き始めたのは最近10年とか20年のことみたいだよ。

 

説明する度に、なんだか涙が出そうになってきました。

目は、もしかすると、うるうるしていたかもしれません。

やっぱり恥ずかしいけれど、もう恥ずかしい自分のことも隠さなくていいか、と思えました。

 

 

「びっくりした~」

「でも、話してくれてよかった」「教えてくれてありがとね」

 

 

「教えてくれてありがとね」

 

その言葉を言ってくれるんだこの人は。

 

私は、どこかで「なんで今まで黙ってたの!?」と言われてしまうかも、と思っていました。

そして、母は「教えてくれてありがとう」なんて言わないだろうな、なんて卑屈なことも考えていました。

 

だから、「ありがとう」の言葉に私はびっくりして、すぐにその言葉をすくい上げてしまいました。

すくい上げて、何度も確認しました。

 

「ありがとう」、だって。

 

 

ついに、双極性障害を母に打ち明けた。

写真:acworksさん

 

 

 

「二階でコーヒー飲もうかな」

なんて、めずらしく母が言って、二階に上がってきました。

なにか部屋に用事があったのかな、と思いましたが、母は、ベッドに腰掛けて、話しかけてきたのでした。

 

 

そんなこと、はじめてに思えました。

 

 

「いままでの人生はつらすぎたよ。会社員のときも、牧場のときも。」

「でも、これからは、いいかな」

 

母は、いつもはほとんどしない精神疾患の話を積極的に話題に出しました。

「私がうつになったとき、病院で「子どもにもうつるから気をつけなさい」って言われたんだよ~」

「あの時代、(とび太が)お腹にいたとき、母親の環境としては最悪だったよ。毎日泣いてたもん。」

 

「ごめんね。」

―そんなことないよ。お母さんは悪くないよ。

 

誰も悪くない。きっと、状況が、タイミングが、うまく回っていなかっただけ。

頭の中を駆け巡る苦い過去。きっと、母も、そうだったんだと思う。

 

 

(あぁ、お母さんは私と話したかったんだ。)

 

冷や汗をかいている訳でもなく、まったりとした気持ちのまま母と話していました。

 

 

 

伝えてよかった。そう思いました。

 

 

 

 

 

双極性障害と打ち明けてみて

 

打ち明けるのに1年以上もかかってみて、なんでだろうと思っていました。

 

振り返って今は、言えなかったのは、ほんとうに【こわかった】んだなぁと思います。

 

双極性障害の自分を否定されることが。

波を抑えようとしてきた自分の努力を否定されることが。

薬の服用や通院を止めさせられてしまうことが。

今後、いままでと違う接し方をされてしまうことが。

 

こわいから、打ち明けられない。

 

こわくて言えなかった一方で、何度も、『打ち明けたほうがいいかな』という考えが浮かんでいました。

浮かんでは、しばらくモヤモヤと頭の中にいる。

 

そうやって、何度も何度も『打ち明けた方が良いかな』と、頭に浮かんでいた、それは、私が、【伝えたかった】ということ。

 

こわくて伝えたくないのも、伝えたいのも、どっちもあったから、

結果、1年以上も、言えなかった。

 

 

カミングアウトするのがこわかったんだなぁと思うと同時に、急いで伝えなくて良かったな、と思いました。

 

薬が定まって、

双極性障害がどういうものか大体分かって、

周りの人にどうして欲しいのか自分なりにまとまっていて…。

 

何か質問されたり、意見をぶつけられても揺らがないでいられるくらいになれていたのもあって、

伝えている間も泣かなかったし、話した後に「伝えてよかった」と、成功体験につながったのかもしれません。

 

 

そしてなにより、私が【伝えたい】ときに伝えられてよかった。

伝えたほうがいいかな、という義務感で伝えるのではなく、純粋に近い want で伝えられた。

天気が良かったから、少し躁っぽくなって衝動が高まっていたのかもしれないけれど、伝えるその場でも、どんな言葉にしたらいいか、必死に選んでいる自分がいました。

躁のだと、一方的に喋ってしまうので、比較的落ち着いているときでよかった。

 

 

 

カミングアウトの機会は、これからもきっとある

 

こんな風に私は、母に双極性障害であることを打ち明けましたが、早速、次のカミングアウトが見えてきました。

 

就職のための面接の際に、どう伝えるか。

 

また就職したとしたら、職場の人たちにいつ、どう伝えるか。

 

例えば、妊娠して、出産した後に、母乳をやらずミルクだけあげている私を見た人へ。

 

いつか成長した子どもたちへ。母が精神障害者であること、そして、その子にも双極性障害になる可能性があること。

 

 

きっと、私が生き続けるかぎり、カミングアウトの機会はたくさんあるんだと思います。

 

でも、恐れずにいたいです。どんと来いです。

なぜなら、今まで、カミングアウトする度に、否定しないでいてくれた人たちがいたからです。

【精神障害者】【躁うつ病】には抵抗があっても、双極性障害を知らなかったとしても、【私】の存在を否定する人は、そんなにいなかった。

 

これから、たとえ否定されたり偏見の痛みを感じたりすることがあったとしても、堂々としていたいです。

 

双極性障害や精神障害者が否定されてしまう1つの理由に、”よくわからない” があると思います。よくわからない病気だから、こわい。こわいから、関わりたくない。

 

理解できなかったから、否定してしまう。

説明がうまくできなかったから、否定されてしまった。

 

その悲しい関係も、カミングアウトの数だけ、どうしても出てきてしまうかもしれません。

 

今はズレてしまって悲しい状態だったとしても、明日は違うかもしれない。

冷たく当ってしまう人も、その人の”こわい” を抱えていて、優しくする余裕がないのかもしれない。

 

 

これから、双極性障害だということをさらにオープンにして生きてゆきたいと思っていますが、

もし自分が、症状を抑える努力もしないで、周りの人が不快になるようなことをしていたら許しません。

 

死ぬまで、双極性障害の波を穏やかにする努力を続けてゆきます。

 

そして、チャンスがあったら、この障害について、説明してゆきたい。

そして、私の存在を認めてくれた人たちに、ありがとうって伝えたい。

 

 

たぶんその度に、相変わらずビビりまくっていると思いますが(笑)、今日の今をスタート地点に、また1つ1つ超えてゆきたいです。

 

 

 

 

 

2019年5月、母に双極性障害だと打ち明けて、思ったこと。

 

 

カーネーションの画像引用:写真AC

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