今日、実家にて、私の家系における精神疾患の話を聞いたので、書き記したいと思います。
中心となる人物は、祖母です。
父方の、おばあちゃん。
パーキンソン病で85歳で死にました。
遺伝子を解析したわけではないので確かではありませんが、
私の双極性障害はおばあちゃんから遺伝したのではないかと思っています。
▽後で、この考えは変わっていきます。

目次
母の推測:父方のおばあちゃんが双極性障害
最近テレビで双極性障害のことをやっていたのを見たらしく、母が、興奮気味で私に「(私の双極性障害の)遺伝は、おばあちゃん※からだよ!」と言ってきました。
※父方の祖母
それをきっかけに、母と、姉とで、私の親族の精神疾患の話になりました。
生前の祖母。彼女の記憶をたどる
晩年、祖母は、「もう、心配できない」と言ったそうです。
この言葉には、祖母の人生が詰まっているなと思います。
「もう心配できない」と言った祖母は、プツンと何かが切れたのでしょう、そこから一気にパーキンソン病に飲まれていったそうです。
祖母は双極性障害だった?
祖母の場合疑うのは、2型です。
これを裏付けそうな、印象的なエピソードを挙げてみます。
母から聞いたことがある話と、私が幼少の頃に祖母を見て感じていたことを元にしました。
特徴を3つに分けていますが、どれもが複合的に組み合わさって、祖母という人を形成していたのだと思います。
特徴その1:不安が強い
おばあちゃんは、何にでも、ひどく心配しました。
『不安症』の診断がつくのでは、というくらいでした。
子どものやることなす事に心配し、心配しすぎることで、子どもを強く縛り付ける。厳しく接する。
私が見ても、「そんな風だから、かえって子どもが心配するようなことをしてしまうのでは…」と思えました。
祖母の心配症の他の例です。
昔、母に男の人から電話が来るだけで、「母が家を出ていってしまうんじゃないか」と心配したそうです。
私にも、私が大学で北海道に行くことになって、パーキンソンで寝たきりのほぼ喋れない祖母にそれを伝えたときに、苦しそうな顔で「ヨメ…。」と言いました。
私が北海道へ嫁に行って、永遠に帰ってこないのでは、と思ったのでしょうね。
例をいくつか挙げましたが、祖母のこの『心配』の強さは、双極性障害の『不安』という症状だったのではないかと思えます。
私が鬱のとき、不安の症状が強いから、こう思ってしまうのもあるかもしれません。
ちなみに、父も心配しすぎるところがあります。
北海道に行きたいときは必ず猛反対されました。おばあちゃんと同じ感じくらい心配しすぎ。子どもは近くに置いておきたいみたいでした。
「親に心配かけるな」が美徳だ、心配=愛だ、と思って育ったので、私はずっと罪悪感でした。
(でも今は、私が心配させるようなことをしているのもあるけれど、父もちょっと心配症すぎるわ、と最近は思います。)
特徴その2:気分の波
祖母は、普段、人前にあまり出ない、出ても浮かない顔をしていたイメージがあります。
それは、『うつ』だったのではないかと思います。
基本的に内向的で、手仕事が好き(仕事に逃げていた?)なように見え、『大人しい人』というイメージが強かったです。
しかし意外なことに、祖母は時々、激しく、キーーー!っと激昂することがあったそうです。
私も、薬(気分安定薬/ラミクタール)を飲み忘れたり、疲れすぎたり、余裕が無くなったりした時などに、よくヒステリーを起こします。»特に混合状態のとき
自分の努力が追いつかないくらい、衝動が強い時がある。
ほんとはやりたくないのに、やってしまう。
そして、後悔し、また鬱へ落ちていく…。
おばあちゃんも、そんな、気分の波に振り回されていたのではないか?と思います。
特徴その3:コミュニケーションが苦手
これは、双極性障害の『うつ』に由来しているのか、彼女の発達障害(ASD/自閉スペクトラム症)的な側面に由来しているのか、あるいはそのどちらもだったのかは分かりませんが、
祖母は、人付き合いが苦手でした。
誰かが家に来ると、隠れようとしたそうです。
(これは、私もめっちゃ同じです…。)
母にも「早く隠れろ!」と言うこともあったそうです。
母はなんで?と思ったらしいですが。
また、お歳暮などの贈り物をもらう度に、顔をしかめ、困っていた祖母がいました。
私もそれを見て育ったのもあり、贈り物のやり取りなどがとても苦手でした。

プレゼントをもらって、喜ぶどころか、「あの人は私を嫌っている…」と思ってしまうなんて、病んでますよね(笑)
不安がいきすぎて、被害妄想みたいになってしまうことがあるんです…。
双極性障害の人がみんなコミュ障というわけでは無いと思いますが、うつ・躁は、人付き合いにも大きい影響があると思います。
遺伝してる?:私の親族にみる双極性障害
母の説では、双極性障害っぽい傾向が見られるのは、父方の親族ということでした。
母が知っている情報では、
父方の祖母の1〜2親等内に、
- 双極性Ⅱ型障害の私(きょうだいは軽度、あっても気分変調症くらい)
- 過食嘔吐持ちが私ともう1人
- 心配性的と言える人が3人(私、私の父)
- 長期間引きこもりの人が2人
- 長期間の家出をされた方が1人
- 原因が分からないで亡くなった人が1人
※重複もあります。
原因が分からないで亡くなった人(自殺かは不明)は、3親等内にも1人いたようです。
父方の祖母の方が、生前の気質の面でも、遺伝的に辿れるという面でも、双極性障害だったのではないかと推測されました。
母もあやしい
しかし、母が言ってくるまで、実は私は、双極性障害は『母』から遺伝したんだと思っていました。
母は気分の波が強いと思います。
過去に精神科の薬を飲んでいた時期があったと聞いたこともありましたし、
母が家出をしたときに、ごめんね、と買ってきてくれたマフラーや、冷蔵庫の中身を号泣しながら床に叩きつけている姿、割れた玉子…。少しですが、覚えています。
私は知らない方がいい、と、上の兄姉がよく言っていました。
精神的に荒れていた時期が母にはありました。
また、母の母、つまり母方の祖母は、精神科に入院していたことがあったらしいことをこないだ初めて聞きました。
母は、「(双極性障害じゃなくて)ちょっとヒステリーっぽくなっちゃってたんだよ」と言っていました。
私は「入院するって、けっこう重度じゃないか…?」と思いました。
母方の祖母も、何かしら精神面に難があるのではないかと思っています…。
しかし、母方は、2型に見られる感じの、『いつも鬱』みたいな感じがあまり無いんですね。
基本的に元気というか、活発めで、コミュニケーションも楽しんでいるように見えます。
なので、きっと、もしかすると、私の双極性障害は、父方の祖母オンリーからではなく、母方の祖母からも由来するかもしれません。
双極性障害は、1つの遺伝子で決まらないと聞いたこともありますし、祖父祖母たちの遺伝子がちょうど組み合わさって、たまたま私が双極性障害になった、というのもあり得るなぁと思います。
▽遺伝の原因探しはこちらに続きます


最後に:確かに遺伝する。だけど絶望じゃない
ここまでで書いてきた親族のあれこれ(姉は“○○家の黒歴史”と呼ぶ)は、私はそれが『普通のこと』と思っていました。
自分が双極性障害と診断されてから見ると、私の家系ってけっこう精神病の集まりなのかも…と思えてきました。
脈々と、受け継がれていますね。
双極性障害は遺伝する。
私もそう思います。
隔世遺伝もする。
たぶん、私がそうです。
だけど、全員に症状が出るわけじゃない。
それも、確かです。
そんな双極性障害が、この脳が、とても興味深いです。
この記事を書きながら、こんな家系だからこそ、障害や特性を受け入れ、認め、早めに治療を受けるのが、人生の明暗を分けると感じました。
私はこれからの人生、障害を“黒歴史”で隠すことなく、ただ、淡々と、向き合っていきたいです。
幸い私は、双極性障害の診断を早めに(26歳のとき)受け、気分安定薬を飲むことができています。
しかし、一昔前だったら診断を受けることも難しく、そしてもちろん薬も無かったと思うと、本当に恐ろしいです。
令和に生きることができている私たち双極性障害者は、医療の力を借りることができます。
確かに遺伝はしますし、しんどい時も多々ある障害ですが、絶望ではないはず!と思っています。
祖母へのメッセージ
こんな生きづらさを抱えて、薬の力も借りないで、よく80まで生きたよ、おばあちゃん。私は無理かも。
お疲れ様でした。
脳みそが似ちゃったけど、おばあちゃん悪くないよ。
そして、心配しないでね。
たくさん、ありがとう。
そして、命をつないでくれてありがとう。
祖母へ、尊敬と愛を込めて。
*****
それでは、以上です。
最後までお読みくださりありがとうございました。
ひとりでも多くの人が、1日でも早く、双極性障害に気づき、治療を受け、楽になれますように…
(余談:)
アルツハイマーも同じように遺伝するのでしょうか?
双極性障害とパーキンソン病の関連についての研究が進んでいるそうで、今後が楽しみです。
できれば、予防していきたいですから…!
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