「愛」の存在が分かった衝撃。黒白の世界で生きていたASDのヘレン・ケラー体験

「愛」の存在が分かった衝撃。黒白の世界で生きていたASDのヘレン・ケラー体験 発達障害

 

私の人生を大きく変えた出来事の1つについて書きたいと思います。

自分では、『ヘレン・ケラー体験』と呼んでいます。

【愛の存在に気づいた】のです。

 

ASD(自閉スペクトラム/アスペルガー/発達障害)の人に欠けがちな、「何か」についての話でもあります。

抽象的な表現が多く、まだ自分でも言語化できていないところも多々あるかと思います。でも、まだ【愛】の存在に気づけていない人が何か気づけたり、その周りの人の誤解が少しでも解けて、世界の温度がちょっぴりでもあたたかくなったらいいな、と思って書きたいと思います。

 

ヘレン・ケラー体験

「愛」がわからなかった。黒と白の世界で生きていた話(ヘレン・ケラー体験)

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私がその出来事を『ヘレン・ケラー体験』と呼んでいるのは、そのとき、カミナリに打たれたような衝撃を感じたからです。そしてその衝撃は、まさに、ヘレン・ケラーの伝記の1シーンと同じ感覚だったのです。自分が経験していなかったのに、フラッシュバックしたかのように鮮烈でした。

ヘレン・ケラーの伝記は、目も見えず、耳も聞こえない、ヘレン・ケラーが、言葉を話すようになって世界を駆けた人生のお話です。

 

その1シーンとは、ヘレン・ケラーが井戸の前でコップを持って、そのコップに水を注がれて、「water」という文字の並びが「水」だということに気づいたあのシーンです。

彼女にとって、水を認識しただけでなく、【コミュニケーションというものの存在を知った】衝撃に打たれた瞬間でした。

私が小学校のときに読んだマンガでは、彼女がカミナリに打たれた絵で書かれていました。

 

w、a、t、e、r、のそれぞれの”形”は分かる。

水も知っていた。

だけど、waterが水を示すことは知らなかった。

そして、文字の記号を並べれば、手で触れていない存在を認識することもできるし、そして、誰かとコミュニケーションすることもできると知った。

 

自覚していなかった世界が、一気に開けた出来事だったんだと思います。

彼女にとっては、見えも聞こえもしない。だけど、それまでずっと肌に触れて、心が揺れて、体と心は感じていたこと。でもそれが何なのか、ヘレンには気づきもできなかったこと。

それが、彼女の意識の中に存在できるようになった。

【無】から、圧倒的【有】に変わったのです。

 

私はその時、 w-a-t-e-r という綴りが、私の手の上を流れている、この素晴しい、冷たい物を意味していることを知ったのです。この生き生きとした単語が、私の魂を目覚めさせ、光と希望と喜びを与え、(暗黒の世界から)解き放ったのです。

引用:ヘレン・ケラーとサリヴァンの奇跡とは何か? – NAVER まとめ

「解き放つ」という表現が、ほんと、これだ!って感じです。

 

愛がわからなかった

「愛」がわからなかった。黒と白の世界で生きていた話(ヘレン・ケラー体験)

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ヘレン・ケラーが知らなかったものが”言葉によるコミュニケーション”であったことになぞらえると、私がそれまでの人生26年の間知らなかったのは、【愛】でした。

▽このため、こんな感じでコミュニケーションにつまづいていました。

「大好き」って伝える。そんな簡単なことが、すごく難しかった
...
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「愛してるの響きだけで強くなれる」とか、「気持ちだけ受け取る」とか、本当に何なのか分かりませんでした。

 

私は、ASDの自覚がありますが、言葉の発達に遅れがない旧アスペルガーのような感じかと自分では思っています。言葉は使えましたが、非言語的なコミュニケーションが、全然わかっていなかったようでした。

学校があるうち(大学生くらいまで)は、決まったレールというか、テンプレがあったので、定型発達者のマネ(マスキング)をしてなんとかなりました。しかし、いわゆる”社会”に出てからは、私に本質的に欠けているところが、生きていく上で致命的な影響を与えるようになってきました。鬱になったのも、まさに「欠陥」が露出したいい例ですね。≫人生初の精神科は24歳のとき

 

 

分からないのは、「自覚していない」だけ

ヘレン・ケラーは目も見えないし耳も聞こえませんでした。そんな障害を持っていたら、もちろん言葉を自然に話せるようにはなりません。しかし彼女は、晩年の姿のように、言葉を使って周りとコミュニケーションを取れるようになりました。

 

つまり、【言葉】が彼女に存在しなかったわけではないのです。視覚情報とか音の情報が無いために、【言葉というものの存在を認識できなかった】だけなのです。

 

大学のときの何かの講義で、「赤ちゃんは何語でも話せるようになる」というのを聞いた記憶があります。例えば日本人の間に生まれた赤ちゃんも、英語圏で育てれば英語を話せるようになります。つまり、人間の脳には、”言葉によるコミュニケーション”というスペックが生まれつき備わっているのです。ヘレン・ケラーの例もまさにそれを証明していますね。

 

同じ感じで、私も、【愛】が無いわけではなかったのです。

愛は自分の中に存在していたけれど、それがどんなものなのか、分からなかった。

愛がたくさんある世界に生きていたけれど、気づくことができなかった。

だから、愛を受け取ることも、伝えることもできなかった。

 

 

モノクロの世界

「愛」の存在が分かった衝撃。黒白の世界で生きていたASDのヘレン・ケラー体験

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【感情】というものを、色にたとえてみます。

周りの人たち、生き物たち…それらの感情は豊かで、世界は色とりどりです。

 

しかし、色をすべて白黒にしてしまうようなモノクロのレンズ(メガネ)をかけているとどうなるというと…

どんな色も、黒か、白か、グレーに見えます。

 

たとえば、【愛】を赤色だとすると、モノクロレンズを通してみたら、【黒】です。

「大好き」をピンク、「楽しい」を黄色、「かなしい」を水色だとすると、モノクロレンズを通すとそれらは全部グレーです。違いがあまり分かりません。

 

あたたかい愛の色も、黒く見えてしまう、かなしい世界に私は生きていました。

 

 

いつのまにか身につけていた、モノクロレンズ

私はこのモノクロレンズを生まれつきかけてしまっていたようです。原因と言っていいのかわかりませんが、関連性があるかなと思うのは、

  • ASDなところ(生まれつきの特性)
  • アダルトチルドレン(育ちで悪化)

です。

 

ASDの人は、このモノクロレンズをかけていることが多いかも、と思います。

ASDな人と接しているときの違和感の1つは、この「モノクロレンズ」で説明できることが多いのではないかと思います。ASDな人が一生懸命に「コミュニケーションスキル」を練習して小手先のツールを身に着けたとしても、その場しのぎで終わり、コミュニケーションの困難さが根本的に解決しないのもこれが原因にあるのではないかと私は思っています。

 

モノクロレンズをかけていた私の特徴的な思考(思考の歪み/認知の偏り)

  • 「~すべき」で考えがちなところ
  • 物事を白か黒かで極端に捉える(白黒思考)
  • 自分目線

 

モノクロレンズをかけていると、【感情】のコミュニケーションの存在に気づけません。

言葉では知っていると思います。「相手の気持ちになって」、とか、よく言われますから。でも、それが何なのか気づけていない・分からないのです。

 

大切な人を大切にできなかった

こんな感じの「モノクロレンズ」を着けていた私は、言葉の並びを追うことばかりで、相手の気持ちを受け取れなかったし、あたたかい気持ちに気づけませんでした。

すると当然、家族や、恋愛関係にある人など、関係が深くなればなるほど、ズレもたくさん生じていきました。最終的に、関係が破綻してしまったり、自分が潰れていきました。

 

相手の【気持ち】が分からない故のトラブル例

:アドバイスが否定に聞こえてしまった経験(【愛の赤色】が【黒】に見えてしまった例)

あるとき、「とび太は、もっとぱっとした色の服が似合うと思うよ」と言ってもらったことがあります。ふつうの人だったら、「私がもっと素敵になれるようにアドバイスをしてくれたんだ」と、プラスな言葉として受け止めることができると思います。さらに言えば、根っこにある【愛】に気づけるでしょう。

しかしモノクロレンズを着けていた私は、マイナスの言葉として受け止めました。「今日の服がダメってことなんだ。今日はもうこの服着てきてしまったのに、どうしよう。今すぐ買えっていうのか」などと、パニックになったり、涙が出たり、最悪、ヒステリー状態になりました。

 

▽モノクロレンズは、恋愛関係を崩壊させた一因にもなったかと。

パートナーには、精神障害を隠さず正直でいたい。
...

 

自分も愛せなかった

【愛】の存在がわからなかったので、同時に、自分の気持ちも自覚することも苦手でした。

失感情症(アレキシサイミア)と表現してもいいのかな?と思ったりします。

自分の感情は、「うれしい」と「楽しい」くらいだと思っていました。高校のときからの友人に訊くと、「いつも楽しそうだった」と教えてもらいました。ずっと楽しかったのではなく、「楽しい」しか使えていなかったんだと思います。

 

繰り返しになりますが、感情が無い、という人はいません。ただ本人が自覚していないというだけなのです。

自分の感情を自覚できないと何が起こるのかというと、自傷(私は過食嘔吐)とか鬱とか。行き着く果ては、【死】ですよね。

私も、過食嘔吐をするようにもなりましたし(過食や過食嘔吐は自傷行為の仲間だと思っています)、鬱になって「死にたい」と想ったこともあります。

 

モノクロレンズをかけていると、人間関係も死んでいきますし、自分自身も死に向かっていくんですね。

 

そんなモノクロの世界をかなしいとすら、わからないままに。

 

 

世界に色が付いた。まさにそんなことが起こった

「愛」がわからなかった。黒と白の世界で生きていた話(ヘレン・ケラー体験)

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しかし、そんな風にモノクロの世界を生きてきた私も、26歳のときに、世界が変わりました。

 

ついに、【愛】の存在に気づいたのです。

 

ほんとに、立ちすくむほど、床にひれ伏すほどの衝撃でした。まさに、ヘレン・ケラーと同じ感じにカミナリに打たれたように、体中に鮮烈なしびれを感じました。

 

当時長くお付き合いをしていた人から、別れを告げられる直前のことでした。やっと私は、連絡が返ってこない理由がやっと分かりました。彼が私に対して向けてくれていた【愛】にもやっと気づけたのですが、遅すぎ。別れの際にもまだすごくメンヘラ(すがりつき?)な言動をしてしまいましたが、最後にお礼を伝えられただけでも、気づけて良かったな、と思っています。

 

モノクロレンズは、外せるなら外した方が、いいと思います。

人生変わります。

 

モノクロレンズを外せたきっかけ

私が上記のようなヘレン・ケラー体験をしたときは、牧場で働いていた頃でした。「人生を生まれるところからやり直そう」と思って移住したというのもあって、”認知の歪み”を徹底的に直したい、自分の考えをブッ壊したい、と思っていました。≫うつ~移住編

 

はっきり、コレ、と分からないのですが、1つには、【分からないことを徹底的に追う】【分からないことを”定型発達者”に説明してもらう】ということをしたのが効いたたかもしれません。

そして、【協力してくれる人がいた】というのも、ものすごく大きかったと思います。道東に飛んでから出会った友人なのですが、人生ではじめてじゃないかっていうくらい、ほんとに何でも話すことができました。自分ひとりでは到底気づけなかったことにも気づくことができ、認知の改善が一気に進みました。カウンセリングをしてもらった、と言っていいくらいです。

 

なぜ?なぜ?なぜ?を繰り返した

たとえば、日々生活している中で、何か自分がモヤモヤとかイライラを感じる瞬間。

  • どうしてあの人はこの言動をしたのか?
  • なぜ私の行動は喜んで貰えなかったのか?
  • なぜ私は職場で「嫌われてる」と思うのか?
  • なぜ私は過食嘔吐をしているのか?

 

それまでの人生だったら、スルーしていた(気づかず素通りしていた)ようなことを、探して、それを”ふつうの人(定型発達者)”に【説明】してもらいました。そんな、ケーズスタディを繰り返しました。

 

モノクロレンズの外し方

モノクロレンズをかけてしまっていて、生きづらい人に、【分からないことを定型発達者に説明してもらう】という方法はとてもおすすめです。

ひとりでもできますし、友人など、”正常な考えをする”人の協力を得られれば、認知の改善はすごく早いと思います。専門の人にカウンセリングを受けるのは、どうしてもお金が必要でハードルが高いと思いますから、できるところから1つづつ見つけていってもらえたら良いのではないかと思います。

 

誰かに訊くときにオススメのフレーズは、

  • 「今、考え方の偏りを直したいと思っていて、、、〇〇ってどう思う?」
  • 「力を借りたいことがあって、、、」
  • 「あなたならこんなときどうする?」

です。

 

教えてもらって、【怒り】の感情が湧いたとしたら、それは【図星】ということです。

受け入れましょう。「教えてくれてありがとう」を伝えましょう。

自分の考え方を壊す作業をしている、ということをどうか忘れないでいてください。

 

私は、26歳のときに2回目の人生を生まれたと思っているので、情緒面での精神年齢は、もうすぐ3歳です。認知の歪みをまっすぐにして、【愛】というものを使いこなせるようになるまでには、それまで生きていた時間(約半世紀)くらいかかっても仕方ないと思っています。私の人生の課題です。

 

 

まとめ:いつか愛を分かるようになる

 

「愛」が欠落している、と誤解されている人がいます。冷たい人だとか、サイコパスだとか呼ばれて。

 

でも、【愛】とか【感情】が存在しない人なんていません。

ただその本人が、【愛】の存在に気づいていなかったり、知らなかったり、上手く表現できていないだけなのです。

 

しかし、【愛】が認識できていないことは、コミュニケーションの障害になることは確実です。生きづらくて、死に向かっていってしまいます。

 

もし、そんな人がいたら、「あぁ、心のヘレン・ケラーがここにも…」と思って、見守ってやってください。

待っていてくれたら、未来のその人は、きっと「だいすき」って、言ってくれますよ。

 

 

それでは、祈りと愛を込めて。

 

 

 

 

top photo:scott-higdon-b8wjYDfUxOE-unsplash

 

 

 

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