アルバム『スピッツ』の一番最初の曲、『ニノウデの世界』。
このアルバムを聴いて私は、ずっと、「かわいい感じのアルバムだな~」「ほっこり系なのかな?」と、マサムネさんの声や曲のリズムなどの印象だけで感じていました。
でもずっと疑問だったんです。

”おなかのうぶ毛に口づけたのも”ってあるけど、なんで【おなか】なの?
セックスとか、そういう場面だったら、背中とかのうぶ毛じゃないのかな…?と思っていたんですね。女の人のおなかのうぶ毛って、そんなに無いんじゃないかとも思いましたし。
しかし、妊娠し、出産を経験してみて、”おなかのうぶ毛”の謎が解けたのです!

妊娠すると、おなかのうぶ毛めっちゃ濃くなるっ!!
どのくらい濃くなるかというと、長く伸びたその立派な毛を、夫が毎日のようにいじって遊びたくなるほどです(笑)因みに夫もスピッツ大好き。
あるとき、夫が大きいお腹にキスをしました(マタニティフォトなどでもよくありますよね)。
私はその姿を見て、『ニノウデの世界』は、出産に関係していることの話なのでは?とハッとしたんです。
そして、そこから、雪崩を起こすように、この歌の意味がぐわ~っっとつながるようになりました。
私は、圧倒され、号泣しました。
すごい…
すごすぎる…!!
そこで、この驚きと感動を、恐れ多いながら書かせていただきたいと思います。

マサムネさんが「歌の解釈は人それぞれでいい」と言っていたと聞いたことがあるので、その言葉に背中を押されながら…。
スピッツ『ニノウデの世界』の歌詞の意味
歌詞引用元:スピッツ ニノウデの世界 歌詞 – 歌ネット
まず最初の、
冷たくって柔らかな
二人でカギかけた小さな世界
かすかに伝わってきて
縮んで伸びてフワリ飛んでった
ここは、妊活をしているシーンを想像しました。
”小さな世界”は「子宮」。
「お母さんのお腹の中はあったかかったね」みたいな表現することがありますが、”冷たくって”という表現は、まだ妊娠していない状態の子宮なのかなと思いました。
”二人でカギかけた”というのは、きっと妊娠して、「子宮に他の精子が入ってこれなくなった」、つまり「セックスができなくなった」ことではないかと思いました。妊娠すると安定期までセックスは控えることが多いと思うので…。
”縮んで伸びてフワリ飛んでった”もの、そして”僕を乗せて飛んでった”ものというのは”僕”=「僕の遺伝子」、つまり精子のことでしょうか。
生命とか、命の誕生といった、神秘的な印象を受けました。
ああ君の そのニノウデに
寂しく意地悪なきのうを見てた
窓から顔だして
笑ってばかりいたら こうなった
場面は一気に飛んで、現在に来ました。
とても悲しいことですが、ここでは、赤ちゃんが死んでしまった、というシーンをイメージしました。
”寂しく意地悪なきのう”…きっと、昨日、すごく悲しく、どうしようもできないような出来事、つまり【死】が襲いかかってきたのではないかと思いました。
”君のそのニノウデ“は、ママの腕。
そこに抱かれている、死んでしまった赤ちゃんの亡骸を見つめています。
”窓から顔出して 笑ってばかりいた”のところは、妊娠(あるいは出産)して、赤ちゃんができた喜びでいっぱいの、はしゃぐパパの姿を想像しました。
”窓”は、外の世界。世間。パパは、いろんな人に「赤ちゃんができたよ!」というのを笑顔で話して回っていたのかもしれません。
タンタンタン そして僕はすぐに落っこちた
そんな、最高にHappyに満たされていたパパ。
しかし、【死】の知らせで、その単語が耳に入った瞬間(=”すぐに”)、絶望に落とされてしまいました。
”こうなった”。この言葉に、「憎い」という気持ちが含まれているように感じました。私の心臓が少しぎゅっとなりました。浮かれていた自分に対するものかもしれないし、「神様なんでそんなことしてくれるんだ!」という感じかもしれません。
しがみついてただけの あの日
おなかのうぶ毛に口づけたのも
思い出してはここで ひとり
煙の声だけ吸い込みながら
”おなかのうぶ毛”は、先述と同じで、妊娠して濃くなったお腹の産毛(とくにおへそ周り)かなと思いました。
その産毛自体を愛でてくれたのかもしれませんし、大きくなったお腹の中の赤ちゃんに向けてキスをしたのかもしれません。
しかし、”あの日“がなんの日だったのか。
私は、赤ちゃんが亡くなってしまった日を想像してしまいました。
はじめ私は、”しがみついてただけのあの日”という表現を、出産、分娩のシーンかな、と考えました。
”だけ”という言葉から、「何もできなかった」、つまり男の人が何もできないようなシーン=出産、を連想したからです。
”しがみつく”は、陣痛に襲われているママにしがみついていたということだとしたら、どんどん進んでいくお産に置いていかれないように、パパなりに必死にママを支えてあげていたのだと思います。
でも、自分のお産のときを思い出して、もし陣痛の最中だったら、お腹にキスをしている余裕なんて無いかも…と、お産というのはちょっと無理がある解釈に思えてきました。
そして、次の解釈として、「赤ちゃんの死が知らされた日」、それは赤ちゃんがお腹の中で亡くなってしまったのが分かった日だったのではないかと思いました。
とても大切だった、確かにお腹の中にいたはずの赤ちゃんが、悲しいことになってしまった。それを知って、パパは、ママのお腹にしがみついくことしか出来なかった。パパは泣いていたかもしれません。
そして、愛する赤ちゃんに、キスを…。
そして、視点は現在に戻り、パパは、そんな日を思い出しています。
場所は、”煙”という表現から、火葬場だと思いました。
”煙の声だけ吸い込みながら”は、火葬場の外で、立ち上る煙を見ているような感じを、そして、次のフレーズ、”なんにもないよ見わたして”から火葬場のイメージが浮かびました。
なんにもないよ 見わたして
ボーっとしてたら何故 固まった
赤ちゃんを火葬すると、骨は残らない、残ってもほんの少し、と聞いたことがあります。
見わたしても、何もない。火葬が終わって出てきた台の上には、そこにいたはずの赤ちゃんはもう、跡形なく居なくなってしまった。
そんな、シーン…とした火葬場の室内に、”ボーっと”パパが立っている姿が思い浮かびました。
もし自分の子のそんな場に立ち会ったのなら、私はなんにも考えられなくなると思います。ただ、空っぽのまま立ちすくんでしまいます。
”何故 固まった”というフレーズは、パパがそんな感じで、立ちすくんでいるのを表現しているのかな、と思いました。
そして、極めつけがやってきます。
タンタンタン 石の僕は空を切り取った
”石の僕”は、先ほどの、あまりの出来事に体も心も動けなくなってしまった僕。
”空を切り取った”は、火葬場を出て、空を見上げたイメージ浮かびました。
ここからは私の色付けが強いのですが、
その空は、とても青かったのではないかと思いました。
突き抜けるほど青い、眩しい空。
いつもの僕だったらシャッターを向けていたような、美しい空。
涙目で見上げた空があまりにも綺麗で、「この空を覚えておこう」そう思ったのかもしれません。
石のように固まった自分を、一瞬でも動かしてくれた空を…。
(何か、「シャボン玉飛んだ」の歌と似ているような印象を受けました。)
以上が、私の『ニノウデの世界』のイメージでした。
まとめ:私の思う『ニノウデの世界』
私は、『ニノウデの世界』を、これから赤ちゃんを迎えようとしている夫婦(家族)ストーリーとして聴きました。
子づくり(妊活)のシーン、
出産のシーン、
しかし、赤ちゃんが死んでしまう。
赤ちゃんを火葬するシーン。
【生】も【死】も、激しく心を揺さぶるような出来事が起こった。
だけど、【生】の場面にも【死】の場面にも、確かに、あたたかな【愛】が溢れていた。
そんな、【愛】を、【愛】が確かに存在していた事実を、マサムネさんは歌っているのではないかと思いました。
ニノウデとは?
「赤ちゃんを抱く母親の二の腕」のイメージを持ちました。
自分でも出産を経験して、赤ちゃんを抱いてみて、「二の腕、美しいなぁ」みたいな気持ちが湧いたことがありました。また、それは夫でも親でも、赤ちゃんを抱いた人の二の腕に視線が吸い寄せられる感覚もあります。
自分の肌が綺麗とかではなく、なんだか、生まれたての赤ちゃんを受け止めることができる二の腕の特別さというか、赤ちゃんを乗せて輝くようになったというか…。
なぜでしょう、赤ちゃんを抱くときって、赤ちゃんの顔のとなりに二の腕が来ますから、よく目に入るのからというのもあるのかもしれません。
この『ニノウデの世界』という歌では、受精したときに僕の頭を包んでいた二の腕や、大きくなったお腹をさする二の腕、”生きた”赤ちゃんを抱く二の腕、そして、”死んでしまった”赤ちゃんを抱く二の腕…。
そんな、いろんなシーンの、どれも愛おしい、妻の二の腕をまとめて呼んだのが【ニノウデ】という言葉ではないかと思いました。
アルバム『スピッツ』の世界観について
『ニノウデの世界』が収録されているアルバム『スピッツ』は、タイトルに「死」が入っている曲だったり、『魂』という言葉が出てきたり、なんとなく、【生】とか【死】の匂いがするアルバムだなぁと感じました。
マサムネさんの創作活動のテーマの1つ【性】も、【生】や【死】の究極的なものと聞いたことがあります。
このアルバムで、とてもかわいらしい音、ちょっと幼い感じの歌い方で包んでいるのは、赤ちゃんをイメージしているような感じも受けます。
私は子どもを宿し、産んでみて、改めて赤ちゃんは、神様とか魂に一番近い存在だと思いました。そして、”大人”が普段忘れてしまっていたような、【生】と【死】を強烈に焼き付けてくれる存在だと思います。
『ニノウデの世界』が出産のまわりの歌だと思うと、他の歌も、そういった【生】や【死】の匂いがする歌に思えてきました。
同じ印象を受けている方を参考にしてみると、たとえば、『テレビ』は棺桶、『死神の岬へ』は無理心中を…とか。
しかし、その歌も、メロディや歌の軽やかさなどから、決して生臭くなく仕上がっています。
とても尖っている。
鮮烈。
【生】と【死】の視点を持って聴いてから、このアルバムを聴くと本当にやばいです。
悶絶します。
でもすごい美しい。愛おしい。
そんな、感動がいっぱい詰まった、素敵なアルバムだなぁと思います。
それでは、私の思う『ニノウデの世界』を紹介させていただきました。
最後までお読みくださりありがとうございました!
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