過食嘔吐を誰にも言えなかった。「気づけなくてごめんね」と言わせてしまって、ごめんね。

【経験談】私が過食嘔吐をしはじめて双極性障害と診断されるまでの話 過食(過食嘔吐)

 

 

 

私は、過食嘔吐を始めてから、家族にも、親友にも、付き合っていた人にも、過食嘔吐をしていることを言っていませんでした。

隠していたのは、双極性障害と診断される頃(26歳)まで、5年くらいでしょうか。

【経験談】私が過食嘔吐をしはじめて双極性障害と診断されるまでの話
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『隠していた』と表現しましたが、自分の感覚では、「隠していた」とか「言えなかった」ではなかったです。

 

「なぜ誰にも言わなかったのか?」

これが原因だったのかな?ということがいくつかあります。

 

 

過食嘔吐は「恥ずかしいこと」「悪いこと」だと思っていた

私は、誰かに話したいのをガマンしていたわけではなく、自分自身、なんで過食嘔吐しているのか分からなかったし、過食嘔吐をカミングアウトする必要性も分かりませんでした。

いつも、「食べ物を粗末にしてはいけない」とか、「ご飯粒を一粒でも残してはいけない」とか考えていました。「残したら農家さんが悲しむよ」とか、いろいろ、【食べ物を捨てる=悪】な考え方ってありますよね。私もまさにその教育をしっかり刷り込まれていたので、食べ物を捨てることにとても罪悪感がありました。

過食嘔吐も食べ物を捨てているのと同じですから、私は、過食嘔吐している最中や事後には、一生懸命に自分で自分を罰していました。食べ物をわざと吐くなんて、悪の極みのように思っていました。罪悪感でいっぱいでした。

最近は、過食嘔吐するくらいだったら、と、捨てられるようになってきました。

過食嘔吐と、母と、私。魚肉ソーセージを捨てた日に思うこと
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「食べたと思って」捨てています。

 

 

過食嘔吐は「病気」だと思っていなかった

今でこそ、『過食嘔吐』を一回でもしたら精神科に行ったほうがいい(行ってもいいくらいメンタル的には追い込まれている)、と私は思っていますが、過食嘔吐を続けていた頃はずっと、自分が病気(病的/正常ではない/ストレスを抱えている/治療が必要)だとは思っていませんでした。

さらに厄介なことに、『自分は健康』と自分を洗脳してしまっていたのです。前述のように、自分が食べている量は少ない(過食とは呼べない)と思っていたのもあります。

摂食障害や鬱など、精神疾患に対する知識も全くなかったです。親や兄弟が鬱になったりしていたのに、他人事だったんだと思います。家族に精神疾患になった人がいたら自分もなる可能性が高いことを自覚するべきでした。

 

「つらい」と思っていなかった

過食嘔吐をしていた、と誰かに話すと、「つらかったね」と言ってもらうこともあるのですが、実は、正直、自分では「辛かったかどうか分からない」という感じなのです。

過食嘔吐自体に辛さがあるとすれば、吐くときの息苦しさくらいでしょうか。むしろ吐いた後はすっきり感とか、ホッとした感じとかが得られます。『快』と表現してしまうところもあるかもしれません。また、過食は自分を無気力化もしてくれます(やばい精神状態を強制シャットダウンできる)。

過食嘔吐にはこのようなメリット(?)があるので、「つらい」かどうか分からなくなっていました。

 

今は、過食嘔吐をしてしまっている理由は『ストレス』だと思っています。そのストレスの中で生きていたというのは「つらかった」と言えると思います。

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「気付けなくてごめんね」って言わせてしまってごめんね。

自分が双極性障害かも?と気づいて友人に相談したとき、過食嘔吐を打ち明けました。

過食嘔吐していることを話すのはこの友人が初めてでした。

彼女は学生時代からの友人で、私のことをよく知っていました。

「今まで気付けなくてごめんね」

そう言われて、私はハッとしました。

どれだけ今まで自分が、過食嘔吐を軽視していたか知ったのです。

 

友人は何も悪くない。言わなかったのは私だから。

謝らせてしまった。

ずっと心配してくれてた。

 

 

私は、過食嘔吐しながら自分のことしか考えていなかったんだなぁ。

 

 

 

過食嘔吐を話すべき?

誰かに話した方がいいと私は思います。

だけど、『すぐ』にこだわらず。

何年もかかるかもしれないけれど、いつか、その時がきます。

自分が「なんか今話せそうかも」とか、「この人なら受け止めてくれるかも」と思う人がいたら、話してみるのも良いと思います。

 

私は、はじめて1人に打ち明けてから、他の友人にも打ち明けてみることにしました。

会うたび、片っ端から、というくらいの感じで、過食嘔吐を打ち明けまくりました。

みんな、最初の彼女のようにごめんね、とは言わなかったですが、

そうだったんだ。と、良いも悪いも言わずに耳を傾けてくれました。

ドン引きされたり、縁を切られたりとか、そういうことは無かったです。

 

それからというもの、友人と話していて『過食嘔吐』という単語が会話で使われたことはありません。

でも、友人がかけてくれる「元気?」に、なんとなく”過食嘔吐とかは最近どう?”というニュアンスが含まれるように感じることがあります。

 

誰にでも、苦手なことがある。

上手くできないことがある。

それが、私はたまたま『食べること』だった。

だから、みんなが苦手なことを話すのと同じように、私たちも過食嘔吐のことを”普通”に話していいのではないかと、私は思います。

 

 

 

打ち明けてよかった?

 

よかったです。

助けてもらえた、とかよりも、

自分が自分を認められたような、

自分を好きになれた。

堂々と生きられるようになった。

 

 

そんな感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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