祈って救われなかった話。震災の日から始めた「ありがたい」の呪文

祈って救われなかった話「ありがたい」の呪いだった ひとりごと

 

*** 神様や目に見えない世界の知識を勉強したわけではないため、間違っているところもあるかもしれません。ご了承願います。***

 

 

2011年3月11日の震災の日から、

『毎日祈る』

ことを始めました。

 

寝る前、布団の中で唱えるのですが、次の言葉です。

 

「今日も生かしてくれてありがとうございます。大切な人たちが健康でありますように。」

 

余震で揺れる、あの暗い部屋始めた、私のしきたり。

5年くらい続けたと思います。

 

こっそりと、誰にも言わずに。

 

 

***

 

あの時私は、茨城の実家に帰省していました。

震度は6弱だったと思います。

海は自転車で行ける距離。海が近いエリアには、津波が来ました。

私の実家では、屋根の瓦がたくさん落ちたり、塀が倒れたりしましたが、家族はみんな無事でした。

 

さらに、私が揺さぶられたのは、放射能でした。

福島の原発から吹く風が、短時間ではありますが、ちょうど頭の上を通過したらしい。

原発に近い地域に比べたら全然低いレベルでしたが、家の中に籠り、瓦礫の片付けの力になることもできず、手の中にある、自家製の小さなニンジンの、捨てられるのを待つのを、じっと見つめていました。

 

“東北の人に比べたら、私は被災者じゃない”

そう何度も考え、自分に言い聞かせました。

 

実際、微妙なラインだったと思います。

(”被災者”かどうかって、白黒付けられないことだし、極論言えば、日本人全員(心を痛めた世界中の人?)が被災者。自分で決めていいこと、と今では思います。)

 

【生きていることの有り難さ】

【生きているという、罪】

私はいつまで経っても、この苦い味を、自分から求めていたように思います。

 

 

 

***

 

 

戻ります。

自分なりに大切にして、5年ほど続けていた『感謝の儀式』でしたが、最終的には自分で壊しました。

しかも、「クソ喰らえ!」な気持ちで。

 

それは、いつしか鬱になって、当時勤めていた東京の会社を辞めた頃のことです。

鬱になってからの休職中、ずっと「職場に申し訳ない」「自分はクズだ」とか、ひどく唱え続けていましたが、

だんだんと、病気になったことや、しんどいとかストレスとか、そういう『不幸』が降りかかってきていたことに、

「祈ったのに救われなかった。」

と思ったのです。

 

 

***

 

救われなかったのはなぜなのか。

…そもそも、“救われなかった”と私は思い込みましたが、“神様”はちゃんと応えてくれていました。

「ー大切な人たちが健康で有りますように」という祈りですが、私の大切な人たちに健康上の大きな不幸はありませんでしたから。

なので、私は、被害者意識になっていたのだと思います。

 

また、「あぁありがたい。」そう祈るとき、違和感を感じていました。

“本当”の『ありがたい』『ありがとう』って思えていなかったんだと思います。

もっと不幸な誰かと比べての、「ありがとう」だったんだと思います。

 

 

 

◆自分の命と引き換えに、救って欲しい?

見逃したくないのは、【必死で自分を消そうとしていた】ところ。

誰かのためを優先して自分は身を引くのは『良いこと』と扱われることが多いかもしれませんが、何か、『自分の命と引き換えに』というニュアンスがあったかもしれません。

当時は、すごく自己肯定感が低かったのもあると思います。

だから、「こんな私が生きていて申し訳ない」と自分を一生懸命下げれば、『謙虚だね。good!』と認めてもらえると期待していたというのも込められていたに違いありません。

 

 

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◆祈れるようになった

最近、またお祈りをするようになりました。

タイミングは自然と、朝になりました。

美しい光を見ると、手を合わせたくなります。

 

今の祈りはこうです。

「今日もありがとうございます。世界の全てに幸せがありますように。世界の全ての苦しみや痛みが少しでも減りますように。」

 

今感じる「ありがとう」は、

“生きていることの 巡りあい”

への感謝、という感じかな、と思いました。

神様に命を委ねているとかはあまり含まず、神様とは、ある意味対等に生きているというか…。

 

とにかく、変わったのは、お祈りするときの気持ちが圧倒的に Happy なこと。

気が向いたときとかに祈っています。

 

 

***

 

まとまりがないですが、以上です。

書いていて、神様の理解は、自分なりでいいのかも、と思えてきました。

過去の私のような祈り方をしている人がいたら、それは言わば自分への【呪い】なので、まずは、自分を気遣って自分を愛してみてほしいです。

神様は、もっとのんびりした気持ちで見守ってくれている(いつまでも待っていてくれる)はずです…たぶん。

 

余談:

私の姉も同じことをしていたようで、さすが姉妹似てるな、と笑えました。

 

 

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