教職への気持ちが成仏した。私の大切な想い

教職への気持ちが成仏した ひとりごと
私の思い出を入れた箱の中に、教育実習で一生懸命書き留めたノートがありました。
卒業してから6年。ずっと、そのノートを直視できませんでした。教職のことを思うと苦い気持ちが湧いてきてしまうのです。
そして昨日、ノートを開きました。
自分が気付いたこと、先生からのアドバイス、研究授業でいただいた感想…。
緊張していた当時の気持ちを感じながら、あのときの記憶を読み返しました。
そして、そのノートと、さよならできるような気がしたので、いま思うことをここに書きたい思います。

教育実習で教職へ愛着が湧いた

大学3年生のとき、母校で教育実習をしました。
教育実習をやって教員になりたくなったか?というと、そうだったと思います。
しかし、こんな自分が教員になってもいいのだろうか?と常々思ってしまっていました。
今思えば不安が強すぎたり自己肯定感が低すぎたりしていたのだと思います。
実習の最後にクラスから大きな花束を貰いました。喜びと感動で涙しました。教員になりたい!と思いました。
しかし、感動ですっかり時間を忘れていて、反省会に遅刻。大きな花束を抱えて反省会へ入ったときのやってしまった感。
胸が高鳴った次の瞬間、気持ちはしぼみました。

選択できないまま進んだ

教育実習を終えた私は、教員になるか民間企業に就職するか、決めかられずにいました。
教員になるなら社会経験があった方がいいとか、一度教員になったら民間へはいけないとか、教員採用試験が落ちてしまったらとか、教員免許の10年の期限のうちに採用されなくちゃとか、そういう理由で、教員採用試験の勉強をしつつ、民間企業への就活を始めました。
大学で企業説明会がスタートし、私は説明会に通い、置いていかれないように必死でした。そのうちに面接が進み、大きな企業に採用されました。
最終面接の直前に母から「死ぬ気でね」とメールが来て、震える足を押さえつけて笑顔で面接を受けたのを覚えています。
教員免許を持っていると採用されにくくなると聞いたことがあり、履歴書にも採用後にも教員免許を持っていることを隠し続けました。
教育実習先には気を遣って「教員になります」といい、採用された会社には気を遣って「憧れの企業でした」と伝えました。
相手のために、相手のためにとしてきたつもりなのに、いつの間にかどちらにも嘘をついている感じになっていました。
Facebookに「憧れの企業に採用されました」と書き、そこに教育実習でお世話になった先生から「教員になりたかったんじゃなかったの?」とコメントが来たときには血の気が引きました。
教育実習での恩、会社が採用してくれて教育してくれた恩。もらったものの大きさを感じるたび、教職にも、採用先にも、好意を踏みにじってしまったという罪悪感が沸きました。
進めば進むほどつじつまが合わなくなる人生。すごく苦しかったです。
迷うばかりで消耗していき、私は最終的に、鬱という逃げ場に落ちていきました。
結局、会社も辞め、教員にもならずに終わりました。

やってみてから考えるという考えがあれば

会社に入ってから、自分が”腰かけ就職”じゃないか、といつも考えました。
もしも、腰かけ就職をしたいというのならば、数年で辞めやすい仕事を選ぶべきだったと思います。たとえば契約社員とか。
例えば牧場で働いてみて知ったのですが、牛の仕事は人の入れ替えがとても激しいです。そして数ヶ月やればそれなりに戦力になれます。
数年で辞めることが特に珍しいことではない職場もあるんだと思いました。
また、腰かけ就職にならずに社会経験のある教員になりたいのなら、教員になって一度辞めて、何年か教員以外の仕事をし、また教員採用試験を受ける、という選択肢もあります。免許が切れたらまた大学に入り直せばいいことです。
それか、企業に勤めるのがスタートだったら、納得するまで何年か働いて、退職し教員になるとかもあります。担当の仕事をこなし、引き継ぎをきちんと済ませてから退職すれば、職場に迷惑をかけたとは言わないと思います。
選択肢はたくさんありました。意思さえ有れば大体の仕事には就けます。
一度就職して、退職を希望したとしても、それは失礼では無いと思います。辞めたくなった場所より新しい仕事に魅力があったということです。
迷惑をかけるとか、そういう保身の考えを優先しすぎていたと思います。
やってみて、それから決めてもいい。そういう考えがあればよかった。
やってみたことないのに決めるなんて無理なことですよね。

100%叶うなんて無理なのに

よく、自分で決めることが良いとされます。私も長らく何事にも受け身なところを根絶しようと、した方がいいのだと思っていました。受け身なのは許されない、出来る限り強い意思を持つべきだと思っていました。
しかし今は、そこまで0or100にならなくてもよかったのかも、と思っています。
就職とか進路を考えるとき、自分で選ぼうとしますが、自分の希望が叶えばいいけれど、タイミングとか運とか相性とか、どうしようもないこともあるわけです。
過去の私を見つめると、私は何事も自分の思い通りに行くとでも思っていたように見えますね。過去の私は全くそんなことはないと言うと思います。ただ環境の要因があること認識すらしていませんでした。自由に歩む恐怖に飲まれて、誰かが言ったような道に流れていっていたのです。
自分で選択した道だけを歩けたら、それは素晴らしく美しいでしょう。だけど、そうならなくてもいい。むしろ自分の選択がかなわないことも多々あって叶うときばかりじゃない。
回り道したって全然よくて、大切なのは、そのつどそのつど、自分で選んでいたことなのだと思います。
何事にも無意識に完璧を目指していた。潔癖ともいえます。
ちょっとした失敗で絶望し、いつまでも自分を責めました。
私は総じて真面目すぎました。
大学で教員免許を取って卒業し、企業に務め、牧場で働き、そして自分が双極性障害と発達障害であることが分かりました。
双極性障害と発達障害の私は、教員は無理だと思っています。もしかしたらやれるけど、多分確実にいつか潰れます。そうなるのが分かっているのならやるべきじゃ無いと思っています。それは、職場や生徒といった相手のため、そして自分のためでもあります。
今後の私の職業選択において、教員に関わらず、ハードな仕事、フルタイムの正規職員は避けた方がいいと思っています。
双極性障害が由来で体調に波があったりコミュニケーションが取れなくなることがあるし、発達障害が由来で不適切な言動をしてしまったりする可能性があるからです。
確かに、障害を自覚する以前よりは症状も改善し、生きるコツも掴めてきました。しかし、仕事に加えてそういった認知の歪みを直す作業を進めていくのはハードです。
できそうな仕事を選び、できることからやっていこうと思っています。

捨てられなかった講義資料を見ながら

大学で教員免許を取るにあたって受講していた教職の講義の資料。度重なる断捨離を生き延びて、残っていたファイルが1つありました。
もうずっと見返すことのなかったその講義資料をみてみると、不登校とか、いじめとか、発達障害の生徒の対応とか、そういう内容のものでした。
答え合わせをしたような気持ちでした。
牧場を辞めようと考えていたとき、次の仕事の候補に教員も考えました。学生の頃とは違う目線でなぜ教員なのか?考えました。私は、自分が教員になったとき、余談のときに心理学とか精神疾患の話をしてみたいと思っていました。
私は、教員という職業に惹かれていたというよりも、そういう”生きづらさ”を抱えた人を救いたかったのです。私自身、学校が苦しかった。
そしてそれを叶えられるのは、教員という職業だけではないと思いました。最終的に辿り着いた場所は、うまやの宿と、ブログでした。宿のお客さんに、馬と接してもらって何かヒントとか癒しを感じてもらいたい、ブログで私が伝えたいことを発信する…。そんな風に、私が苦手なコミュニケーションを少なくしつつ、やりたいことをやれる。すごく自分にぴったりなように感じています。

教員への想いは

ずっと、心の中で消えることのなかった教員への想い。
教育実習のノートを開いて、そしてこれまでの人生で出会ったことと照らし合わせて、ようやく私は想いを抱きしめることができました。
教員に向いていないんじゃないか。
沢山の恩を裏切ってしまっているんじゃないか。
教師になりたいって言ったのに、違う道を選んだ罪悪感。
私は、教員への気持ちを大切にしていたんだな、気付きました。
大切な気持ちは、叶えられなかったとしても、大切にしてていい。
教員という職業に憧れながら、進んできたけもの道。今遠くから教員を眺めたら、愛おしい気持ちはそのままでした。
大切なノート。
捨てなくてよかった。
捨てられてよかった。
さよならではなく、心はいつもそばに。

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