『うまやの宿』を叶えたい理由。私を救ったその場所は、きっとまた誰かを救うから

『うまやの宿』をつくりたい理由。私を救ったその場所は、きっとまた誰かを救うから プロフィール

△師匠の放牧地と馬。

 

こんにちは。とび太(@umayano)です。

ご覧くださりありがとうございます。

 

私はいつか、『うまやの宿』という、小さな宿を開きたいと思っています。

馬と暮らすように、のんびり過ごせる宿です。

一生かけてダメなら、来世でまた頑張ります、というくらい。

うまやの宿
...

 

「馬のいる宿をやりたい」なんて思うようになったのはなぜなのか、綴りたいと思います。

 

 

うまやの宿をやりたい。それまでの道のり

Photo by Dominik Martin on Unsplash

Photo by Dominik Martin on Unsplash

うまやの宿をやりたい理由には、「馬がいる宿って素敵だな」と思うのはもちろんですが、私の過去の経験が大きいです。

胸を張れるような過去ではないのですが、はじめに私の話をざっくりと紹介させてください。

 

鬱で一回死んだ

私は、小さいころ、馬の絵ばかり描いたり、時代劇に馬が出てくるとテレビに飛びついていたような子どもでした。

歳を重ねても馬への想いは変わりませんでしたが、しかし選ぶ進路は、だんだん馬から遠くなっていきました。

どうしたらいいか分からないまま『エスカレーター』に乗ろうと頑張って、無理して、キャパオーバー。

ついに、会社員になった2年目、鬱で何もできなくなりました。
»鬱になった当時の話

 

なんにも無くなったそこに見つけたもの

Photo by blair yang on Unsplash

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鬱で休職中は、自分のやってきたことに絶望し、それまで関わった全ての人に申し訳ない罪悪感でいっぱいでした。
生きている価値など無い、と思いました。

そんな感じに鬱に沈む中、『人生の断捨離』をやってみたところ、たった1つだけ、自分に残っているものを見つけました。

それは、『馬』への気持ちでした。

「どうせ死ぬなら、馬に乗ってから死にたい。」

 

 

馬の師匠との出会い

Photo by Leonard Laub on Unsplash

その想いを抱えて過ごしているうちに、馬の師匠との出会いが重なります。

師匠(と私が勝手に呼ばせてもらっている人)は、子供の頃から“牧童“として、馬に乗って牛を追って生きてきたような人。

乗馬クラブとかのような”乗馬”とはまた違った、『馬と働き、暮らす』世界。

“自然”に近い、というか、素朴な…『ゆるい』生き方に、私はぎゅーんっと惹かれました。

 

「テキトーに!」。シンプルだけど核心をついている生き方に、しみじみとします。

 

『死に場所』ができた

師匠は、当時のふにゃふにゃな鬱上がりの私に、「馬に乗って立木にぶつかったらいい(枝に首をぶつけて死んだらいい)」とか言ってくれました。

私はその言葉が、すごく嬉しかった。

『ここで死にたい』と思える場所ができたら、『もっと生きたい』って思えたんです。

不思議です。

 

Photo by Jeeray TANG on Unsplash

その後、自分の生きづらさの原因(双極性障害自閉スペクトラム症(発達障害/ASD)など)が次々に明らかに。

 

どうやったらもう少し上手に生きられるようになるのか。
『心地よさ』とは何なのか。

自分の体と心で、ひたすら試行錯誤を続けているうちに
…「あ、うまやの宿をやりたい」
という想いに至ることになりました。

 

 

うまやの宿とは

とび太のプロフィール うまやの宿の参考にしているアラスカで出会ったゲストハウス 馬が窓から見える

▲アラスカ、フェアバンクスで泊まったゲストハウス。窓から馬が見える。こんな窓があったらいいな。

 

うまやの宿は、今はまだイメージだけの宿です。

“うまや”という言葉には、馬の部屋である『厩(うまや)』、そして馬がいる場所という『馬やさん』、同じ屋根の下に馬と暮らす『うまや(曲がり屋という建築方式)』から、【馬と暮らすように】という意味を込めています。

 

▽バーチャル体験風に描いてみました。

うまやの宿【構想図①】無人チェックインとトレーラーハウス
...

 

うまやの宿は、『馬と人が一緒につくる場所』でもあります。

方法としては、耕作放棄地や離農跡地といった人の手入れが入らなくなった土地に、馬(ドサンコなど)を放牧します。
馬に草(雑草)を食べてもらい、馬糞という肥料を撒いてもらうことで、だんだんと森を草地に変えていきます。

できるところにサスティナブルな(持続可能な)方法も取り入れてみたいと思っていてます。例えば、薪ストーブや太陽光式の電気柵、屋外トイレとしてバイオトイレなどを使う。地元の素材を選ぶ。

そして、ゲストが宿泊や乗馬をしてくれることで、うまやの宿の循環が続いてゆく、という姿をイメージしています。

 

そして、その循環の中で、もし過去の自分と同じような境遇で苦しんでいる人の何か役に立てたりしたらいいな、と思っています。

 

 

『馬との暮らし』をレンタルします

Photo by Andrea Leon on Unsplash

「馬は遠い存在」…。もしかするとそう感じる人も多いのではないかと思います。

現代、この令和の時代だと、馬の仕事をしていたり、乗馬クラブに通っていたり、あるいは馬がいる地域に住んでいる人だったりじゃないと、『馬と暮らす』のは、夢のような話かもしれません。

私は、うまやの宿という形で、この馬に対する敷居をめちゃくちゃ下げたいです。

 

「たった1日でもいい。自分の馬と暮らしてみたい。」

好きな時間に好きなだけ、馬を眺めたり、触ったり。

そんな願いが叶う場所をつくりたいと思っています。

 

 

『プライベート宿・牧場』感

Photo by Andrew Coelho on Unsplash

こだわりたいのは、うまやの宿には、誰もいない、あるいは人間がとても少ないこと。

『ただ、ぼ〜っと息を吸える、プライベートな場所』をつくりたいです。

理由の一つには、私自身が基本的に人がいない場所が好き、に加えて、公園で休憩するときなどにも他の人の目が気になって緊張して、せっかくの時間を楽しめずに終わりがち、というのがあるからです。

東京にいた時には、ベンチ1つもなかなか見つからなくて、泣きそうになることもありました。

 

木陰の静かなベンチとか、草の上に寝っ転がるのって、気持ちいいですよね。

そして、そこから馬が見えて、馬たちを眺めているうちにいつの間にか一緒に過ごしている…。

ゲストと馬だけしかいなくて、誰に気を遣うことなく、心のままに過ごせる。

そんな時間と空間を提供できたらいいなと思っています。
(※乗馬のときは必ず、安全のために私も一緒にいます。)

 

ゲストがどんな場所にいても、その心の片隅に、そっとドアをつくれる存在になれたらいいな、と思っています。

 

 

心にもバリアフリーに

Photo by Robert Katzki on Unsplash

自分が『生きづらさ』の塊ということもあって、どんな人でも泊まってもらえる宿にしたい、そのためにはどうしたら良いだろうか?考えています。

特に心の面です。

たとえば、鬱の状態にある人にはコミュニケーション(特に対面での会話)が本当にハードルになる。
なので、基本的に貸切なのに加えて、無人チェックイン式にして、受付時の対話もフリーに。

『時間の制限』も無くす。チェックイン/アウトの時間を幅広くして(日没までに、とか)、予約も『延期』は無料に。
理由は、私自身、出かける当日になって心身の調子を崩したり、身支度に時間がかかる・トラブルで遅刻する、を起こしやすいからというのがあります。

 

『罪悪感』も軽く

私は、師匠に出会うまで、「馬に乗ったら馬が可哀想」と思いがちでした。

でも、師匠のところで、「馬も元気が有り余っていると走りたくなるらしい」というのを目の当たりにし、私はびっくりでした。
(もちろん、馬がキツいと感じたり、馬の心身に危険があるような乗り方はダメだと思いますが…。)

馬は、「頭を上げた写真を撮るのが難しい」という例えがあるくらい、放牧されている馬はずっと草を食べています。緑の草(青草)は栄養満点な反面、メタボにもなりやすいと聞いたことがあります。
うまやの宿の馬たちは、青草をたくさん食べているので、ゲストにはぜひ、たくさん乗ってもらいたいです。

 

また、過去の私は、馬に対してだけでなく、極端を言えば「人間は生きているだけで罪」みたいに自分の存在を感じてしまうことがありました。

環境意識の行き過ぎとも言えるかもしれませんが、特に「息をしているだけで石油を消費している」という感覚が苦しかった。(電気や水道水をはじめ、モノも、多くの食べ物も、ほとんどが、たどれば石油を燃やしてつくられている…と。)

 

うまやの宿では、ところどころ、自然エネルギー(馬力も!)を活用して、ゲストに【自然に還る】的な時間を提供したい、と思っています。

 

ちょっと不便って、豊かだなぁ。のんびりするなぁ。なんて感じて貰えたら嬉しいなぁと思います。

 

 

 

馬という生き物

『うまやの宿』をつくりたい理由。私を救ったその場所は、きっとまた誰かを救うから

▲師匠のドサンコと草原をゆく。

 

うまやの宿は、なぜ『馬』なのか?

私が、馬という生き物を選ぶ理由です。

『宿 × 馬』の魅力を書かせてください。

 

癒される

Photo by chrissie kremer on Unsplash

優しい目。
丸いおしり。
滑らかで、あたたかな体。

臆病だけれど、すごく優しい生き物だと思います。
そして、どこかのんびりしていて…。

(※それぞれの馬の性格次第!)

あぁ、めんこい…。

 

ホースセラピーというものもありますね。

乗馬で得られる3つの癒やし効果♪

  1. 優しい馬から得られるセラピー効果
  2. ほどよい運動によるストレス解消
  3. 自然の中、高い目線で走る爽快さ

乗馬の癒し効果|オリンピッククラブ

馬は、眺める・触れる・乗る…と、いろんなことを通じて私たちを癒してくれます。

 

『生きづらさ』改善のパートナー

Photo by Kenny Webster on Unsplash

ホースセラピーは、先述のような癒しの効果を目指して使われる言葉のこともありますが、癒し以外にも、乗った人の内面に向き合う時間を提供してくれます

ホースセラピーで期待できる効果は以下の4つが挙げられます。
・意欲の向上
・自己肯定感、自信の向上
・体力筋力の向上、身体機能の回復
・孤独感の解消
身体の健康だけではなく、心の健康にも効果絶大なのです。

趣味を乗馬に!乗馬で得られる嬉しい3つの効果とホースセラピー | 伊豆の乗馬クラブ 天城ホースビレッジ

 

ホースセラピーは、日本では『障害者』向けに乗馬療育として取り組まれることが多いイメージがあります。

でも私は、生きる上で短所が無い人なんていないように、誰だって馬に乗って『もっと素敵な自分』になっていいと思っています。

何が言いたいのかというと、支援をあまり受けられないまま自力で頑張っているグレーゾーンな人たちにこそ、馬とたくさん過ごして欲しいのです。

 

自分自身の経験もあり、精神疾患や発達障害の人の『生きづらさ改善』『認知の歪みを直す』のに乗馬はすごく良いと考えています。
乗馬は、ときに精神科や心療内科のカウンセリングにも勝るのではないか、くらいに思っています。

ちなみに私が馬に乗って知った自分の短所は、

  • 主体性がなさすぎる
  • 意思が弱すぎる
  • 緊張しすぎる
  • 簡単に自分を責めすぎる

…などです。

これらはこのまんま、馬に乗る時だけでなく、私が人間関係につまづくときの原因そのものだなあと思います。

 

馬は、鏡

Photo by Fernando Puente on Unsplash

師匠はよく、「馬は人とおんなじ。」と言っていました。
自分が誰なのか、自分が何をしたいのか、教えてくれます。


馬と『対等』になって、伝える。受け入れる。
それは、人間とのコミュニケーションと同じ。

コミュニケーションや人間関係形成が苦手な人には、馬はとても頼もしい、練習のパートナーになってくれるはずです。

 

このような理由で、たくさんの人に、たくさん馬に乗ってもらいたい、と思っています。

では、うまやの宿で、どうすれば手軽な乗馬の機会を提供できるのだろうか?何度も来てもらうには何が必要か?
考えているところです。

 

 

候補地は北海道

私は北海道が好きです。

ラブ北海道!私の人生と北海道の関わり
...

 

北海道の気候は、夏は緑が眩しく爽やかで、冬は雪景色の美しさとパリっとした空気にうっとりします。

 

また、人が優しい。おっきい。と感じます。
北海道の人の話し方とかもあるのかな。

私が出会った人たちが、学歴とか出身とかそんなの関係ない付き合いをしてくれた人が多かったためか、背伸びしないというか、ありのまま生きている(生wantに正直。生き物に近い?)人が多ように思います。

北海道民が北海道を愛している雰囲気も、いいなぁと思います。言葉が適切かはわかりませんが、めんこい感じ。

 

 

もう一つは、表現が難しいのですが、『人間臭くない』感じ。
歴史が浅い(いわゆる和風の文化が浅い)からなのか、人間が発する情報量やエネルギーが低い感じ…圧が低い感じ…がするところが、私には居心地いいような、安心します。

この、人間的なエネルギーが低めなことは、鬱なんかで自分の心身(魂?)のエネルギーが下がっている人が滞在してもらうにもいいんじゃないかと思っています。

人間的な面に限らず、森の薄さ…北海道の植物の種類が本州に比べれば少ない感じも、好きです。

 

もちろん、馬を飼養する上でも、北海道の涼しい気候は馬に快適だと思いますし、北海道では馬が多く飼育されていてエサや道具の調達、獣医師へのアクセスなどの面が良いこともメリットが大きいと思っています。

ドサンコの存在も、大きいです。北海道の森で一年中生きていける能力、人が乗りやすいサイズ感と走り方、森の中を歩くのに向いている脚を持ったドサンコたちは、うまやの宿の最高のパートナーになってくれるはずと信じています。

 

こういった理由で、うまやの宿の第一候補は北海道です。
(でも、絶対に北海道!というわけではなく、まだ知らないだけで、もしかしてこれからの人生で魅力的な土地との出会いがあるかもしれない、とも思っています。どちらに転んでも楽しみです。)

 

 

終わりに

Photo by Richard Austin on Unsplash

私にとって、究極をいうと、うまやの宿づくりは『死に場所づくり』でもあります。

死に場所、というと縁起でもない感じがするかもしれませんが、もちろん、ストレートな意味で「うまやの宿に自殺しに来て下さい」と思っているわけではありません。

 

『捨てる場所』にしてもらえたら、と思っています。

過去の自分とか、生きづらさの原因になっていた「こだわり」とか。

ポジティブな意味で、自分のお葬式をしてもらうというか…。

 

捨てる、というのは【選ぶ】こと。

 

うまやの宿には、恥ずかしさとか、迷惑とか、気にする人は誰もいないですから(そもそも人間がほとんどいない)、

「少し、いつもと違うことしてみようかな」
「やってみたかったこと、やってみようかな」

なんていう想いが生まれるきっかけになれたらいいな。

馬たちも、きっと、そのお手伝いをしてくれるはず。

 

ゲストが、うまやの宿に来てくれたときよりも、帰りの方が身軽になっていたりしたら、嬉しいです。

 

 

ブログでの発信をしながら

馬と、波と、ブログ。とび太のプロフィール 双極性障害 うつ 道東

△トレッキング中に見かけた動物の足跡。エゾリスかな。

うまやの宿を目指しながら書いている、このブログに込めた想いがあります。

 

【存在するだけで、愛されていい】

忘れたくないこと。伝えたいこと。

 

 

 

私は幼少の頃から、自己肯定感が低すぎて、「私はここに居ないほうがいい」「自分はダメだ」と思いがちで、

404 NOT FOUND | うまやの

“当たり前”や”~すべき” に隠されて、暖かい心(愛)の存在や、みんなが目指す”光” とは何なのか分かりませんでした。

 

過去の私と同じように、生きづらい人、しんどい人、自分を見失ってしまった人、SOSを出せない誰かへ、

需要が無かったとしても、私の何かが、もしかして役に立てたら…と思って書き続けています。

 

 

 

それでは、長くなってしまいましたが、以上です。

最後まで読んでくださり、ほんとうに、ほんとう〜に、ありがとうございました。

 

あなたと、いつか、うまやの宿で出会えるのを楽しみにしています!

 

 

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